中年の危機 Midlifecrisis’s diary

中年の危機についての解説や対処方を紹介

三連休終了・・・・・ 憂鬱度を測定する方法

始まる前は楽しみだった三連休も終わりに近づいてきました。

冬休みも始まる前は解放感と期待感で一杯であったが、後半からは仕事が気になってしまい、時折憂鬱感情に状況に苛まれてしまっていた。

今回は休みが短かったこともあり、まだ憂鬱度は少ないが、それでも溜まった業務、懸案事項を考えるとあまり好きでない酒を煽って寝てしまうしかない。

 

今日は午前たまたまトラブル対処を自宅の近くで行っていたこともあり、顔を出したので若干仕事モードになったのも傷が浅い要因かもしれない。

 

朝移動の車の中でテレビの音声を聞いていたところ、市川海老蔵さん、かんげん君の襲名のあいさつをリアルタイムで聞けた。その中で6歳?のかんげん君のしゃべり方がかなり気になった。歌舞伎風のしゃべり方なのかもしれないが、鼻につくというか可愛げがないというか・・。とそんなことを考えている余裕があるのだな、と自分に言い聞かせて仕事はまじめに遂行している雰囲気を見せて、いいひとを演じてしまい、もっと早く切り上げられる所をだらだらしてしまった。

 

仕事の憂鬱さは心の状態によっては、かなり軽くなることもあるし、酷くどんよりして自分の精神と身体すべてを負のオーラで包んでしまうこともある。

なぜこんなに状況が変わるのだろうか?

ものの本では、すべては自分の心の感じ方次第的なことを主張するものもあるが、実際には、前後の事象、置かれている環境、家族友人の状態、金銭関係、さらには身体の状況も自らの心の状況に影響を及ぼすと感じている。

もっと感覚的になっている時は、周りの人間が負の感情を持っていたり、他人の自分に対する悪い感情、またその気候や空気なども感情に影響すると思う。

つまり目に見えないなにかの存在も含めて、感情の周波数のようなものに影響しているのかもしれない。

もしかしたら憂鬱度が高い時、低い時にその状況を多角的に記録してみると何かわかるかもしれないが憂鬱度が高い時はそんな気分にもならないんだよな。

 

 

 

サラリーマ何に縛られてどこまで我慢しなければならないのか? 対価は給料。

サラリーマンとしての仕事を少しでも好きでなければ、かなりの部分を果てしない期間我慢し続けなければならない。

自分の時間と体力、知力、気力、精神を会社という得体のない器に捧げて、対価として給料を貰うのである。

これが現代社会のサラリーマンの宿命である。

「自分はそんなことはない、自分の生きがいと働きがいを両立させて仕事を楽しんでいる!」という奇特な輩もいるとは思うが、しょせんは会社に属しており、自分の時間さえ自由にならない現在の新奴隷制度に組み込まれている。

 

会社に身も心も捧げると言うのは過去の話ではない。今も正に会社という存在に見えない鎖で縛られてほとんどの人が働いている。

一体何に縛られているのか不思議だが、真面目に会社に尽くすというのは一言で言うと国民性なのだろうか。島国日本の中で生きていくためには周りの目を気にしながら、自分勝手な行動を慎みながら出る杭にならないようにひたすら集団と同じ行動をとる必要があるのである。

 

どこかの会社はこれを逆手に取って、仕事だからといって早朝に出勤させて、その分早く帰社させている。

一見、合理的で会社も従業員もwinwinのような気がするが、早起きができない低血圧の人間にとってはかなりきつい。

考え方としては面白いが、これは勤勉な日本人の国民性をよく理解した上での、奴隷である従業員に文句を言わせないとても良いアイディアである。早起きが苦にならない人にとってはだが。

西宮神社 えべっさん 十日戎

今年は残念ながら3日間もある十日戎(とおかえびす)に行けなかった。

 昨年は新年の挨拶の帰りたまたま阪神電車に乗ることがあり、十日戎の事知らずに西宮駅を降りたら駅前から凄い賑わいで急いでグーグル先生に十日戎である事を教えてもらったという偶然の訪問であった。

近くの写真屋に行っていたこともあり、何回か近くを通っているが、いつか行こうと思っていてそれが昨年の十日戎の訪問となったのである。

福男の話が有名なのでテレビか何かで聞いていて、それがどこかで引っかかっていたのかもしれない。

とにかく駅前からえらい人で改札出口からも警備員がいる状況。
最初は十日戎なんぞ知らない状況で向かっているので、まだまだ初詣で賑わっているなんて関西は信心深いなぁと思っていた。
がそれとしても出店も多いし人が尋常ではなかった。
入り口にも警備員が多数、警察車両も何台もいるので、トラブルも多いのかと思いふけっていたがほどなくして十日えびすであることが判明。ホームページ見たら今日は残り福とのことで最終日であった。

まあ人が多いわけだよ。一人だしはじめてなので落ち着かないが、まあ歩を進めた。
初詣と言うかお祭りなのでこども連れや若者も結構いる。兎に角凄い参拝客に出店の数。
神社境内にも相当数の出店があってえらい並んでる店もあるしデカイマグロもおりました。

残り福と言うことを知らずに行ったのでいい意味での驚きがあってすごく有意義だった。

昨年は偶然としても何かに引き寄せられたのかもしれないなぁと勝手に妄想しながらも、これだけの人間が集まるし、目に見えないなにかのパワーが存在するのかもしれないと感じた。

商売の神との事なので、そろそろ何か商売を始めるかな?

サラリーマン 新年挨拶の巻  

今週初めの話になるが7日の仕事初めが多いようで普段は関係者が殆どのうちのビルヂングは、挨拶に訪れるサラリーマンおじさん達で賑わった。

通常は9時までエレベーター前がごった返すが、7日は9時以降、エレベーター前がごちゃごちゃしていた。

しかも挨拶だけなのに上から下までぞろぞろと沢山来ている。エレベーターが10人くらいが上限なのにとにかく一緒に乗ってあいさつに行かなければならないので、ぐりぐり乗ってくる。

どのくらいの規模の会社か不明であるが、トップは専務とか取締役か?担当事業部長、営業部長、課長、グループ長、係長、主任、担当とこれだけで8人いる。

そんなに必要?と思うし、立ち話で済めばいいが、どっか応接室に通してもらっても話をするのはトップの一人か二人くらい。

とにかく日本式格式高い、挨拶に来ました!という既成事実が必要なのである。

 

まあ行くほうも行くほうだが、来られた方も毎年くるし、こなければさみしくなるし、業務に問題があったのか不安になるのでしょう。

 

これが大手の最終製品を作っているメーカーとなると、賀詞交歓会なる新年挨拶会が開催される。これも会社によって異なるが、社内の会議室を貸し切って業者をまとめて呼んでそこで全部終わらせてしまおうというものである。

当然、大手メーカーなので業者の数も相当なものでかなりの人数が集まることになる。

メーカー購買、調達の関係者も集まって業者も川上から川下までいろいろ集まってくる。

ここで面白いのが、お客様であるメーカーの人への挨拶の行列である。

業者が一斉に集まるので、メーカーはとにかく来ましたアピールが必要なのであるが、限られた時間の中で「誰に」「どれだけ」記憶に残せるかが課題。

当然、メーカーサイドの役員や工場長、購買部長が人気になり、我さきもと言って挨拶に向かうため「行列」になる。

この行列の長さは通常では「位」の高い順に長くなるが、意外と「位」が低くても行列が長くなる人がいる。

これこそ人望だと思うのである。位が高くないということは社内外の影響力は少ないはずであるがそれにも関わらず人気があるのである。

逆に「位」が高くても行列にならない人がいる。仕事ができないか、仕事ができたとしても人として問題があるか・・・。とにかくこういう気の毒であるが、状況をみて自分の行いを振り返って反省するいい機会である。

まあそんなことを感じるならもっと前に改善しているだろうが・・。 

肩こり頭痛と風邪予防に葛根湯様、漢方様

7日月曜から仕事初めが多いようである。もちろん4日からスタートしている方やサービス関係の方は正月など無いのだから頭が下がる。

今回は9連休もあったが、遠距離を帰省しなかったため毎日夜更かし&寝坊が出来た。

しかし休みを有意義に過ごすために夜更かしは出来るだけしないように努めたが、9日もあるとズルズルとリズムが崩れ、朝は8時、9時、10時起床とグダグダになってしまった・・。

さすがに学生の時のように昼夜逆転することは無いが生活のリズムは崩れるし、緊張感が無くなるため体調崩しがちなので、葛根湯を服用している。

この葛根湯だが、風邪の引き始めだけでなく、肩こりにも効くということをかかりつけっぽい医者に教えてもらった。

冬場は特に肩こりによる頭痛もあるため直ぐに葛根湯を頂いている。

せこい性格のため通常4錠/回のところ3錠や2錠に節約することがある。

120錠ほど入っているがさすがに服用が多いとなくなるのも早いので1錠しか飲まないこともあるがさすがに効きが悪い感じがするので2錠は必要との結論である。

とにかくこの葛根湯様が良く効くので非常に重宝している。

常習性がないか心配してしまうが、人生半分くらいまで来ているし、このストレスフルのサラリーマン生活が原因かと思っているので、いずれ卒業するため当面は葛根湯様に頼って行こうかと思っている。

葛根湯は漢方であるが、他にも漢方薬補中益気湯もアレルギー対策で服用しているがこれも飲まないと調子が悪くなる。

東洋医学と西洋医学の違いとして原因療法と対症状法と言われている。現在の医学は西洋医学が中心のようであるが、原因を根本から治す原因療法も非常に重要と思っている。

とにかく現在の生活は葛根湯様、漢方様様なのである。

明日から仕事で早速お客の挨拶&新年会・・・。

疲れる毎日が待っているが前向きに日々こなして、自分を消耗しすぎないようにしたい。

「自分に厳しく他人に…」の正解

社会人目線かと思うがグーグル先生によると意外や「自分に厳しく他人にも厳しい」が支持されている。

綺麗事が大半で意識高い系の方々のご意見だと思うが、自分に厳しい人は仕事ができるし、尊敬に値する人間らしい。そんな人なら他人に厳しくしても納得感が高くなるとのこと。

しかしこの他人に厳しくする基準が人によってかなり異なる。体育会系を標榜する連中であれば、後輩時代は厳しく叱咤されている事に慣れているし、先輩になったとたん同じように後輩に厳しきできる。このような人たちの多くいる業界は過去にはある程度固まっていたようである。テレビ等マスコミ系、一部証券会社、一部総合商社などなどいわゆるブラック系企業と思われるが、働いている人たちが頑丈にできているので厳しくてもあまり問題にならなかったのである。

それが最近の就労関係の問題であると思うが。

 とにかく文化系一般市民からすると叱責される事など普段の生活に組め込まれていないためイキナリ厳しくされると自律神経が震えるくらい動揺するし動悸も激しくなり、下手すると手足が震える事になる。

会社という閉鎖的な場所は、ある程度長い期間同じ空間にいるためお互いの特性、性格を把握した上でオーダーメイドの指導をしていくため叱責するとブルブル震えるほど臆病な人間にはそれなりに優しい対応をしていく。

そういう人間には自分に厳しく他人に優しくせざるを得ない。

 

最終的には他人との距離感の基準の持ち方の違いではないかと思う。

つまり他人だけど身内に近く、将来重要なポジションについて欲しいと成長を願う相手に対しては厳しく接する事になる。自分の子供に対して自立して欲しくてしっかりして欲しいとの親心に近い感情かもしれない。

一方、特に興味がなく仕事でも一時的な関係である場合は、その相手が今後どうなろうと知った事ではないので色々教える必要性も感じないので厳しく接する事もない。まあ後先考えずに八つ当たり的に厳しく接する人間も結構いるが…。

今年もゆるい目標を立てておく。途中で更新予定。

新年明けたので、何か新しく目標を立てるか心機一転なにかを始めたりするのがいいのかもしれないが続いた試しがないし、後で自分でがっかりするので消極的になっている。とは言えやはり新年なので何か整理して今年に臨みたい。

何も目標が無ければ何もしないし、何もしないと後悔が残る。

下記の方針で目標を立てることにしてみた。

・目標は高すぎず、低すぎない適度なものにする。

・半年は継続できそうなものか、もしくはそんなに継続しなくとも目標に早く達成できるものにしておく。

・目標は一つにすると必然的に高い理想を掲げてしまうので3,4個立ててみる。

 

そこで今年の目標は思いつきだが、下記にしてみた。

深夜なので変えるかもしれないけど。これどこかに書きとどめておかないと。

 

①3ヶ月6冊の書籍を読む。自己啓発系から時事問題系。

②1週間の歩数を7万歩を目標とする。基本1万歩/日。

③このブログを3月まで続ける