中年の危機 Midlifecrisis’s diary

中年の危機についての解説や対処方を紹介

大坂選手全豪優勝にみる日本人可能性

大坂なおみ選手が全豪テニス優勝した。

 うれしいが全米で「ラスボス」のセリーナに勝った時から既に「強者サイド」に存在していたので驚きも感動もあまりない。日本語が流暢でないし、国籍がどちらかはっきりしないことも影響している。確実に。

 国籍については22歳までに選択しなければいけないようだが、2019年現在21歳。あと何か月かで選択することになるのであろうが、これまたマスコミの格好のネタになって下世話な話になりそうで不安である。

 

 試合としては第二セットのマッチポイント取るまでは無敵の強さで、錦織選手とは違い安心してみていられた(失礼!)。そして失礼かもしれないが相手は完全に格下であった。

 3つのマッチポイント後、デュースとなった時、ルールをよく知らない嫁さんでもさすがに悪い流れを感じたのであろうか。

「ここから逆転されることある?」

 それまでの無敵の大坂選手を見ていた自分としては、逆転される可能性が無い訳ではないが、これは大坂の優勝を信じたい一心であった。

 最近はあまり見ていないが過去にはセットで圧倒的に勝っていたのにマッチポイントから連続でセットを取られて逆転されることは確かにあった。

 どのスポーツもそうだが、メンタルとフィジカル双方で成り立っているが個人スポーツのテニスはコーチと相談もできないのでメンタルの切り替えが非常に大事である。

かくいう自分もテニスをしていたがメンタルが滅法弱く、弱気になって途端ミスをして自滅して敗北。

 とにかく、大坂選手のメンタルがいきなり不安定になった瞬間を見れた貴重な試合であったと思うし、それをイライラしながらも巻き返すことができたのは大坂選手としてもある意味収穫であったかもしれない。これを経験した大坂選手は更に無敵度が増してしまったかもしれない。

 ところで決勝で解説を担当した元テニスプレイヤーの森上亜希子さんは、奇しくもクビトバ選手のグランドスラム・デビュー戦の対戦相手だったとのこと。因果なのか、森上さんは準決勝で勝利した後の解説の時にも感情がこみあげて言葉を詰まらせていた。

 確かに日本テニスにここまで強い選手が出てくるなんて全然想像できなかった。

 なんといってもフィジカルの差は錦織選手を見ていて歴然であり、それを覆すことは日本人では困難であると思われて来たからである。

 でも可能性はあるのである。あきらめない気持ちと練習ができれば・・。最近は選手に対してコーチやサポートする人たちがチームで活動しているからお金もかかるが・・。

 

転校が多かった功罪 友人関係が希薄になった

1月の中旬以降は受験シーズンのようだ。大学受験は全国でほとんど同一日程だが、中学、高校受験は関東関西ではかなりずれる。

中学受験は関西では1月中旬、関東では2月上旬

高校受験は関西では2月中旬、関東では1月中旬のようである。

当事者や両親にとってはこれまでの努力、犠牲の総決算であり、かなり神経質になる時期。

当方は自分の受験がはるか昔なので最近の緊張感は分からない。普通のサラリーマンでも子供の教育は気になるところだが、転勤族で子供が対象の年齢だと迷うことになると思う。

当方は転勤族というほどではないが、子供の受験を考えているのでこの時期は自分の異動がどうなるか、また子供の受験をどこでさせるのか、ということが今後の大きな課題となっている。

 

自分の親は完全に転勤族であったため小学校、中学校と合わせて5校経験した。

自分としては親に振り回されたとは思っていないし、それぞれの場所で苦労もしたこともあったがいまとなってはいい思い出になっている。

兄弟はそう思っていないかもしれないが・・・。

いずれにしても転校が多かったことが自分の人格形成に少なからず影響を与えていることは間違いない。

具体的には、いくつも要素があるが顕著なのは友人関係が希薄になってしまったことである。

自分の親が異動するからこの学校には長くいないかもしれない、なんてことは露にも思っていなかったので普通に友人関係を築いていたと思う。転校することが決まった時にはかなりの驚きがあったはずだがなぜか意外とすんなり受け入れていたと思う。

最初が海外であったこともあり、そもそも転勤、転校が多く入れ替りが激しく日常の行事であったからかもしれない。

日本に帰国してからも転校は2回あったが、転校することにプレミアム感を感じていた時期もあった。これは親から巧みに意識を操作された結果かもしれないが、実際には転校性は注目を浴びるし、もてたりすることがあるのだ。何よりほかの生徒とは違うということも特別感があった。別にどこも自分自身に特別なことはないのに。

 

転校によっていろいろな人間のタイプがいることを知ったり、いろんな地域を見ることができたが、その反面友人との関係が結果的に希薄になってしまったことが残念である。

いまでも同窓会があって連絡がきて、その気になれば行くが、自分から誘って同級生に会うことはない。

自分の性格上面倒なのもあるし、いまの生活で十分満ち足りているから。

たまたま同窓の集まりに行ったときに、同級生から「自分から誘わないと会えないよ。」みたいな後から考えるとくそ面倒なことを言われ、その時はそうだね、と思ったが、別に特段会いたくもないのでそれ以来その同級生とは会っていない。

嫌いではないが、ただでさえ面倒なのに、更に面倒なことをいわれに行くなんてまっぴらごめんである。

 おせっかいなのかよくわからないが、サラリーマン生活で消耗しているのに昔の記憶を少し共有しているというだけでわざわざお金と時間をかけて同級に会いに行く気分にはいまはなれそうもない。

これも中年の危機の影響だろうか。

ネガティブな精神と肉体が引き起こす障害

体調不良が常につきまとっている。

加齢によるものなのか、過労か、ストレスか、原因は不明だが特に冬になると体が冷えるためか体調が万全であることが少ない。調子がいい!なんて日はほとんどない。

若い頃は調子が悪いなんてことさえ、感じなかったし意識もしなかった。

 

健全なる精神は健全なる肉体に宿るとはよく言ったもので、恐らく逆もしかり、健全なる肉体は健全なる精神を歓迎している。

精神も肉体も相互に作用していて、お互いに代替えの効かない唯一の存在であることを認識して一つの存在として一生を全うすることを使命としている。

 

五体不満足乙武さんからしたら、どれだけ怠けているのかと御叱りを受けるかもしれないが、ポジティブなる精神を維持出来ないので、肉体もそれに合わせて低調にしていると解釈している。

 

今の仕事ではとてもポジティブな気持ちになれないので、体調もいまいちなんだろうなと思っている。

サラリーマンなのでいずれ異動となるので自分の合う部署に異動できれば(少なくとも今より精神的に悪い部署はないと思うが)、精神も肉体も健全になるはずである。

しかしこれは他人任せでいつになるかわからない。

やはり自分の時間だけでなく、精神、肉体もコントロールできないサラリーマンは現代の高度な奴隷制度である。

いずれこの奴隷制度から脱出して、関西旅行を楽しみたい。

 

 

 

調子を少しでも上げるにはマスクの中で思いっきり「口角」を上げてみる

久しぶりの普通の土日である。

先週は3連休、その前は9連休。

7日から仕事で空虚で実のない日々が戻って来てしまった。

苦しい現実感に加え、自分にとって何の意味があるか全く見いだせない業務を継続している。

周りの目が気になるし、世間体も家族もあるので日々適切にこなしている。

「日本のサラリーマンは通勤電車から一斉に吐き出されてから階段を死んだ目で一斉に上っている」

と若者か外人が蔑んで表現したことを最近よく思い出しながら、自分も最寄りの駅の階段を同じように下を向きながら死んだ目で移動している。

そういう時は別に誰の目を気にすることもなく、思いっきり憂鬱そうな表情に死んだ目にすることにしているが、時折自分という人間が本当にそういうダークサイドに陥ってしまうかの知れないと思い、口角を上げるようにしている。

電車や移動中に変な風に口角を上げると変な人間だと思われるので、ほどほどにしてしまうが普通に「口角」を上げる事に集中していると顔の筋肉、ほほの筋肉が固まっている事などに気が付いたり、口角を上げることが意外と難しいことがわかったりなど憂鬱な気分を忘れることができる。

もしかすると表情を変えることで気持ちにも変化がでているのかもしれない。

最近は寒いし、体調が不安定なことも多いのでマスクをしているがマスクをしている時は素顔も半分は隠れているという安心感もあるし、マスクの下であれば思いっきり自由に下がった口角を上げることができるので重宝している。

兎に角、調子が悪いときは強制的に口角を上げるだけでもほんの少し元気レベルが上がります。

 

いい会社はブラック企業

関西に来て3年弱になり、色々な会社の人と会ってきた。

人間の本質とは地域は関係なく根性の曲がった人間、周りに不愉快な思いをさせる人間、一方でおとなしくて周りにすべて委ねる人間、気遣いができて仕事ができる人間とやはり色々いるのである。

会社訪問して打合せすることも結構あるが、業績を上げている業界でトップを走る「いい会社」ほどブラック企業であると感じる。

「いい会社」とは業績を上げて、ブランド力もあり、魅力もあって、おそらく給料・福利厚生がいい会社のことであるが、それらを満たすためには競合の会社より一歩二歩抜きに出た「なにか」が必要である。

その「なにか」を発想して、作り出して、世の中に出して、維持しているのは、その会社の社員に他ならない。

この突出した「なにか」を実現させるためには一人の力ではどうにもならない。

チームとして指揮系統がしっかりしていて、ゴールがしっかり見えていて、そのゴールがいばらの道だとしても突き進むパワーを持っていなければ完結できない。

そのためにはピラミッド型のチームがあって、トップダウンでやることを期限通り進め、上司からの業務命令は絶対であるとチーム全員が理解している必要がある。

極端なことを言うと「いい会社」は 上司の命令が絶対=軍隊 と同じになると考えられる。

それを現代式に言うとブラック企業ということになる。

もちろん理不尽な上司や会社の要求、報酬、勤務時間などなど色々な制約条件はあるが、目的に向かって突き進む「いい会社」=限りなくブラック企業に近くなる。

 

そうならないように、ITを駆使しているGAFAは、職場にビリヤードがあったりフリーアドレスディスク?、バイキング昼食等で福利厚生を充実している。

しかし中では相当ハードな業務を行っていると思われる。

その証拠にG社は社員の精神を落ち着かせるために社内にマインドフルネスを導入したりしているとのこと。

 

冬の雨と傘と気まずさと

少し前まで寒かったが、今日は午後から雨で夕方には晴れるとのこと。

今日は昼前から夕方まで広島に行っていたためうまく雨に降られるずに済んだ。

そして広島は暖かかった。
寒くて夜が雨だとかなり凹むし、外に出たくなくなる。


少し前のことだが、仕事が終わり、会社出た後、外にでると雨が降っていた時、普通であれば傘を取りに戻るのだが、まだ部下が残っていたこともありなぜか、気まずい感じがしてしまい戻らずに冷たい雨に濡れながら帰宅したことがあった。

傘ではなく、鍵を忘れるということもあるがそういう時は家に入れない(家の者に開けてもらえばいいが)ため必ず取りに戻るが、その雨の時は戻らなかった。

面倒であったことだけではない。部下がサボっているのを目撃する気まずさもあった。

実際に目撃したことはないが、大体自分は一人になると自由を満喫するためにネットサーフィンして音楽を聴いて、うろうろしたり等好き放題しているから、同じように部下が行動していたらお互い困るだろうな、という感じ。


幸いその時の雨はそんなに強い雨でなかったのでよかった。
まあさっきの気まずい感じって相手は全然感じてないかも知れないけどこっちが勝手に思い込んでいる感情かも。自意識過剰なのかな。
鍵で何回か忘れ物で会社に戻ったこととでこれ以上おっちょこちょいに思われたくなかったかも知れない。これも自意識過剰か?

こういう細かく気にしてしまうこともストレスの原因かもしれない。

こんなことどうでもいいと思えれば、もっと楽にストレスを感じずに生きていけるのかな?

小手先働き方改革 本気でやるには日本国民性のパラダイムシフトが必要

過度な残業や業務量が一部の会社で浮き彫りとなったため、国を挙げて働き方改革を推進している。

働き方改革とは個別の会社が、個別に施策を策定して担当者の業務時間を管理するという小手先の働き方改革となっているので実感としては意識的には全く進んでいない。

日本は既存の仕組みを変えたり作ったり、それを浸透させるのはあまり得意でないし、受け手側も変化を嫌うので、働き方の土壌が自ら変化することはない。

そもそも戦後日本をここまでの経済大国に押上し上げたのは、勤勉で気の利く国民性がベースにあり、一部体育会系の特攻的気合も合わさった結果であると考えている。

仕事、製品に対してオーバースペックにオタクに追求することでよい製品、サービスが生み出されて。

この考え方を変えないと働き方は変わらない。川下の下々の担当者がいくらあがいてもなにも変わらない。

本気で変えるのであれば日本人の国民性に変化を与えていくしかないと思っている。

端的に言えば「勤勉」「サービス過剰」から「適度適切な仕事、製品」「適当適切なサービス」に切り替えていく必要がある。

海外からはジャパンに対する品質、サービスを期待されているが、そろそろ限界がきている。これらは新興国が頑張ればいずれ追いつかれる。

まじめジャパンを維持するのはあきらめて、そろそろ国民の幸せを考えた、これまでより若干「ゆるい」じゃぱんでいいのではないだろうか。

日本に追従して経済大国になった韓国は日本以上に働き方に問題があるようだし、

そろそろ日本は違う土壌で勝負していくように考え方を刷新していくのがよいと思っている。